2024年4月8日月曜日

ひまひまドラマ日記(『早春スケッチブック』からの『獅子の時代』)

  昨年の10月から、昔の大河ドラマ『獅子の時代』を、レンタルDVDで少しずつ見てきました(1980年の作品、当時私は3~4歳。当然見た記憶はありません)。週1~2本のペースで見ているうちに、昨年12月には作者の山田太一さんが亡くなってしまい、そして今年の3月にようやく全51話を見終わりました。

 もともと、山田太一さんというと大御所のイメージがあって、自分より上の世代が見るドラマなんだろうな…という先入観もあって今まで何となくスルーしてきたのですが、一昨年前に『早春スケッチブック』というドラマを見て、これがすごく面白かった。

 なんで『早春スケッチブック』を見ようと思ったかと言うと、単純に、自分の生まれた相鉄沿線が舞台になっているからです。

 幼稚園児の時、先生が「幼稚園バスと園長先生が出てくるから、遅い時間だけど、お母さんお父さんと一緒に見てね!」と言うもんだから眠い目こすりつつ見てみたのですが、まあ、幼稚園児が見て楽しいようなドラマじゃない。(女の子がケンカに負けて血を流し、頭に包帯巻いてるシーンが子供心にけっこう衝撃的でした。改めて見たら、やっぱり衝撃的(笑)。山田太一ドラマの登場人物って意外と激しいのです。)

 そんなわけで、結局2話以降は見た覚えが無いのですが、ドラママニアの間では不朽の名作と言われているとの情報をネット上でいくつか目にして、いつか見たいと思いつつ、一昨年前にようやく見た…というわけです。

(その時の感想は、別の日記(→こちら)に書いたので、今回は割愛。ちなみに、どうして相鉄沿線が舞台になったかと言うと、撮影許可を出してくれる鉄道会社が当時は京王と相鉄しか無くて、相鉄の駅名を横浜から順に調べて、「希望ヶ丘、なんて嘘くさい名前!」ということで選んだ…というような情報をネット上で見かけました。)

↑ 山田さんのドラマのタイトルって何でみんな格好いいんだろう



↑ 懐かしの相鉄線、希望ヶ丘駅、そしてお美しい岩下志麻さん

↑ 毎日乗っていた幼稚園バス、そして園長先生…すべて懐かしい(泣)


 長くなってしまった。『獅子の時代』の話がしたいのであった。『早春スケッチブック』のおかげで俄然山田太一さんに今さらながら興味を持ち、次は、山田さんが唯一手がけた大河ドラマを見てみたいと思ったのです。

 で、感想を一言でいうと、面白かった(小学生の感想か)。主人公が架空の人物という異色の大河ドラマなのですが、毎回45分間があっという間。展開はところどころ強引なのですが、それが気にならない力がある。私は歴史ちんぷんかんぷん人間なので、むしろ歴史の知識が無くても楽しめるという意味でも、このドラマが好きなのだと思う。

 しかし、放送当時の大河ドラマとしては視聴率は悪かったそうで、プロデューサーも後年、「世間の反応は冷たかった」と書いていた。

 オリキャラ大活躍、女性キャラ多数登場、一方で歴史上の人物の活躍も、戦闘シーンも、権謀術数の政治劇もごくわずか…大河ドラママニアが嫌う要素がたくさん入っているこのドラマ。視聴率が低い大河は今も昔も叩きの対象、近年で言えば『平清盛』や『いだてん』同様に叩かれたんじゃないかなあと思います(私はどれも好きですが)。

 ラスト2回で、物語は劇的に急展開し、「明治維新の光と影を描く」という本作のテーマが明確に出てきます。そして最終回。こんなに熱くて真っすぐな大河ドラマの最終回は見たことない(と言うほど、たくさん見ているわけでは無いけれど)。最後のナレーションがまたいいのです(三谷幸喜さんが、山田さんの追悼番組に寄せたコメントでこのナレーションを取り上げていた)。その内容は各自検索していただくとして…。

 展開が強引と先述しましたけど、最終回を見て、いやこれはファンタジーなのかも知れないと思った。ドラえもんがよく言われる「子どもに夢を与えるファンタジー」なら、これは「大人に希望を与えるファンタジー」。どちらも、現実の厳しさも描いているし。そういえば、作者のお二方、どことなく雰囲気が似ているような(似てないか??)。

 最後に。山田太一さんが「もう大河はやりたくない。ぼくには向いていない」と言っていたとどこかで目にして、もしかして『獅子の時代』はあまり振り返りたくない作品、黒歴史なのかなあ…と思っていたけど、NHKの特集番組で、晩年のインタビューでこの作品について熱く語っていたと知り、ちょっと安心…というか嬉しくなった。

「僕は、あの時代を負けた側から書くっていうことをしている作家がいないっていうことに驚きましたね。もっとなんかあとに続く者がたくさんいると思っていたら、全然いない」と。ほんとに、後に続く人が全然いないのが寂しい。

2024年3月10日日曜日

東武池袋発・星川行きに乗ってきた


 横須賀の自宅を朝6時台に出て、眠い目をこすりつつ、京急と山手線を乗り継いで、都内まで向かいました。着いたのは東武東上線の池袋駅。

 東武の駅なのですが、京成の広告であふれていた。


 ここで受付を済ませ、今日はここから、旅行会社主催の「相鉄・東急新横浜線開業1周年記念 乗り入れ4社横断ツアー」に参加します。

 ちなみに参加費は7,800円。池袋発星川行きと聞いた時点で、衝動買い…というか衝動申し込みをしてしまった。おそらく鉄道に興味の無い方にとっては、「は?池袋から星川まで7,800円?バカなの!?」と思われるでしょう。

 ワッペンをつけて、みんなでゾロゾロ改札口から入場。団体旅行など久しぶりです。ホーム先端では、鉄道マニアが大挙して入線シーンを撮ろうとカメラを構えていました。

 ホームで待つことしばし、お目当ての星川行き貸切電車が入線。東急の車両です。というか、東急の車両しか東武と相鉄の双方に直通できません。

 東急の電車が東武の池袋駅に入線するのは初めてとのこと。だからこれだけ撮り鉄が集まっているんだなあ、と納得する。

 ところで、相鉄の横浜駅は日常的に東急車がやって来て、ダイヤ乱れがあるとJRの車両もしばしば来るらしいけど、東武はダイヤ乱れの時はどうしているんだろう…??

 鉄道マニアを自称していながら、こういう細かいことに詳しくないので、まるでわからない。


 乗車する車両は指定されていて、私は8号車。席は自由席です。

 腕章に書いてある通り、今回の企画は池袋にある昭和鉄道高校の生徒さんたちが関わっていて、スタッフとして多数乗車していました。職業訓練みたいなことも兼ねているのかも知れません。

 いよいよ列車に乗り込みます。

 車両番号とかにはさほど興味が無いのですが、せっかくなので撮影。

 今さらですが、東急の車両って、2007年製でも昔ながらの網棚なんだなあ。非常用ドアコックもどことなく古めかしいです。


 1年前の開業時に(一部で)話題になっていた、相鉄の存在ガン無視広告は相変わらず。ほんとに、ロコツな会社だな!(泣&怒)

 電車は池袋を出発し、日頃は営業運転で入線することは無いという下板橋電留線でしばらく停車した後、志木駅に到着。


 志木では、今回のツアーで唯一のトイレ休憩。ここから星川到着までの3時間弱、トイレはありません。

 ここで済ませておこうとコンコースのトイレへ向かうも、まさかの行列。改札外の公衆トイレもやはり行列。この後の引き上げ線入線イベントをカットして駅で待っていれば、30分後に引き上げ線から折り返してくるツアー列車に再び乗れるそうなのですが…いやいやいや、それじゃ7,800円の元が取れない!と思い、トイレのほうをカットして再乗車。


 引き上げ線では、隣に停車した車両に、通常は東武からは走っていない「急行新横浜」の表示が出され、同乗の同業者(マニア)の皆さんがこぞってカメラを向けていました(私はスマホで撮ったので、くっきりと線が入ってしまいました…(泣))。

 ふと気づいたのですが、この8号車、乗客は個人参加の同業者(マニア)の皆さんばかりで、家族連れなどは皆無なのです。日頃、一人旅でファミリーの皆さんに囲まれたりすると、「ああ、一人でふらふら遊んでいていいのだろうか…」と現実に引き戻されて暗くなったりするのですが、完全に分離されたらされたで「健全なファミリー層に不健全なマニア層を混ぜてはいけませんという、隔離政策なのだろうか…」と結局暗くなってしまうのであった(←被害妄想です)。

 鉄道学校の生徒の皆さんは、ドア脇にじっと立っています。もっと「いらっしゃいませ~」みたいな感じで車内で物販でもやるのかと思ってたけど、よく考えたら、観光業界の勉強じゃなくて、鉄道員になるための勉強しているんだから、当たり前だよな。
 大学生の頃、某S鉄道(伏せる必要無いのですが)でバイトしていて、鉄道高校在籍中の子が2人いたのですが、2人とも落ち着いてしっかりしていて、大学生仲間同士で「自分たちのほうが、ずっとちゃらんぽらんだよな…」とささやき合っていたものです。今思えば、高校入学前の段階で進路を決めるわけで、しっかりしていたのは当たり前かも知れません(そして私はちゃらんぽらんなまま大人になりました)。


 どうでもいい話で長くなってしまった。志木を出た電車は、東京メトロ副都心線、東急東横線へと進みます。そして多摩川を渡り神奈川県へ。天気が良くて気持ちいい。(動画はスマホ撮影なので、見づらくてすみません)
 しかし、このあたりからトイレへ行きたくなり(池袋のドトールでコーヒー飲まなきゃよかった…)、座りっぱなしなのもあってすっかりソワソワ、落ち着きの無い子ども状態です(あるいは徘徊するお年寄り)。東急さんには、京急のようにイベント兼用でトイレ付き車両を作っていただきたい。あるいはいっそ、西武のSトレインのようにQトレインを…(ダメか)。


 そして電車は新横浜を経由し、いよいよ相鉄線内へ。西谷ではまたも引き上げ線に入線します。


 「西谷の煙突を車内から撮影できる、またと無い機会です!」(そんな放送は無かった)


 「クマさんとそうにゃんのツーショットを撮影できる、またと無い機会です!」(そんな放送も無い)


 そんなこんなで、およそ3時間半の行程を終えて、終点の星川に到着です。


 
 「ようこそ星川駅へ!」と相鉄の駅員さん総出で熱烈お出迎え。何という観光地の土産物屋感。そうにゃん饅頭とかそうにゃん最中とか売り始めそうな勢いです(笑)。いや、いいことだと思いますが(星川で強制降車というのも上手い設定かも??)。
 硬券入場券の販売には長蛇の列が。ああ、自分はそれより、早くトイレに行かないと…。





 久々に降りた星川駅とその周辺は、整備が進んでだいぶ印象が変わっていました。若い家族も多くて、新しい街になってきている感じです。でも、川沿いを歩くと、以前とそれほど変わらない。
 近くの市営バスの車庫から根岸駅行きのバスが出ていたので、これに乗って横須賀方面へ帰ることに。ひまひま旅をもう少し続けようと思いますが、今回の日記はこのへんで。

2024年2月2日金曜日

ピザとビールとおっさん幼児と

 

 ふと思い立ち、群馬県内の温泉地に来ています。最寄り駅からの路線バスは、平日だと言うのにまさかの満席。30分以上も立ち通しはイヤだイヤだと、駅待合室で次のバスを待つ。50分ほど後の便は、乗客は自分含め3人でした。

 今回、直前の予約だったので夕食は無し。近隣のお洒落カフェに早目の夕食を食べに行きました。店員さんもみな若く、おっさん一人で行く雰囲気では無いのですが(笑)。でも、各地で若い人たちが店を開いているのは、喜ばしいことかも知れない。

 ピザと地ビールを注文。日頃ピザなど食べないので、食べ方が良くわからず、手も口の周りも、テーブルもベタベタに。おっさんと言うより幼児です。ビールも回ってきた。ピザ1枚を一人で食うのは苦しいな。

 そんなわけで、朝寝朝酒朝湯が大好きなおっさん幼児は、一人ピザと格闘を続けるのでありました。

2024年1月17日水曜日

一人で怒れる男

  新年早々、なんでこんな酷い事が起きるのだろう…と愕然とした能登半島地震。

 そして今日は、29年前の1995年に、阪神淡路大震災が発生した日。高校を卒業して大学生になった年なのでよく覚えている。高校から家に帰って、テレビをつけたら、横倒しになった高速道路に、燃えさかる街。あの時も言葉を失ってしまった。

 数年前、YouTubeに阪神淡路大震災当日のNHKニュース7がアップされていたのですが、冒頭、アナウンサーが「私たちの防災対策は、本当にこれで良かったのでしょうか」といった内容のことを言っていた(かなりうろ覚えです。すみません)。ニュース7って、昔から今に至るまで、アナウンサーが意見や感想めいたことを一切言わない番組だと思っていたので(天気の話題程度は話すけど)、意外に感じた。

 いや、この程度の発言を意外に感じるほど、最近は不満とか不安とか疑問とか、そういった負の感情を含んだ発言をすることが避けられていて、自分自身もそれに慣れ切っているのかも知れない。代わりに充満するのが、「頑張ってください、支援はきっと来ます」「みんなで助け合いましょう」「今は迷惑になるから行けないけど、自分にできることをします」「あなたは決して一人じゃありません」…

 いやいやいや、我々はもっと怒らないといけないんじゃないだろうか。もっと何とかならなかったのか、もっと何とかできないのか。前向きな励ましって、本当の困難の前では、力になるとは限らないんじゃないか。理不尽さに一緒になって憤ることが必要なんじゃないか。

 怒りの感情を維持するのって、心身ともに消耗してしまうんだけど、でも決して失わないようにしたいと思うのです。なんかまとまりの無い文章になってしまいましたが(いつもだけど)、今日はこんなところで。