2025/09/25

路面電車のある街へ


  前回の続き、富山地鉄の話はいったんお休みにして(そういえば四国の話も終わっていない…)、今回は先日行って来た広島の写真を載せます。広島の路面電車、広電こと広島電鉄の、JR広島駅2階に直接乗り入れる「駅前大橋ルート」が開業したとのことで、新幹線に乗って行って来たのです。


 くし型のターミナル駅に発着する路面電車は新鮮です。そして、平日にも関わらず、観光客らしい一見さん(自分もそうだけど)の姿が多い。どの電車に乗ればいいのか、ぱっと見ではわからない。でかでかと「○○方面」とか書かれた看板でも掲げてあれば分かりやすいけど、折角のおしゃれな雰囲気の駅が台無しになってしまうしなあ(でも、いずれそうなるような気がする)。


 宮島方面行の電車に乗り、原爆ドーム前で下車した。





 今回は原爆ドームに来る予定は無かったんだけど、折角来たのだから…と立ち寄った。外国人観光客たちの姿も多かった。笑顔で自撮りなんかしていたりして。どんな会話をしているんだろう。


 再び広電に乗ります。ほんとに、新旧さまざまな車両が入り乱れて走って、飽きさせない。動画は元京都市電の車両。



 やって来たのは、もと神戸市電の車両。私の生まれる前からすでに広島入りしています。何とも言えないレトロ感。これぞ路面電車という感じだ。


 途中駅で乗り換え。続いてやって来たのはうって変わって、真っ赤なカープ電車。


 車内もカープ仕様です。車内放送はカープの選手たちが担当。基本棒読みでした(笑)。


 終点の広島港駅に到着。ここからフェリーで、四国の松山へと渡ります。


 さようなら広島~あっという間の滞在でした。


 船は途中、呉に寄港します。ここで大勢乗って来るのかと思いきやそうでも無く、フェリーは全区間空いていた。以前、松山から呉まで乗った時は若い人がたくさん乗っていて、松山の若者が広島へ遊びに行く足になっているのかなと思ったのですが。休日はもう少し多いのかも知れない。



 「船は音戸の瀬戸通過のため、速度を落として航行します」
 せっかくなので、急いでカメラを持ってデッキへ向かう。観光案内的な放送は何も無く、素っ気ないのだ。そもそも観光客があまり乗っていないので仕方ないのですが。


 広島港から2時間と40分ちょっと。終着の松山港に到着しました。空いていて快適な船だったこともあって、あっという間でした。

 

 ここから最寄り駅まで路線バスに乗車。自動運転バスが走っていると聞き、ちょっと楽しみにしていたのですが、残念ながらメンテナンス中でごく普通のバスでした(泣)。




 古めかしくていい味出してる高浜駅に到着。ここから、伊予鉄の電車に乗って松山市へと向かいます。やって来たのはもと京王井の頭線の車両。ステンレス車をYNB(横浜ネイビーブルー)で全塗装した相鉄に対抗(?)して、こちらはMMO(松山みかんオレンジ)なのである(そんな呼び名は無い)。


 わずかながら、車窓に海が臨める区間もあり。車掌さんの肉声の放送が聴ける路線も貴重になってきた。


 松山市の中心にある、その名も松山市駅で下車。


 駅前から路面電車で、道後温泉へと向かいます。この駅前電停も、整備されて最近使い始めたばかりのようです。




 道後温泉に到着。温泉街は、平日にも関わらず観光客で混んでいました(休日はさらに混むのだろう)。有名な道後温泉本館には入らず、近くにある地元の人向けっぽい温泉に入った。


 再び路面電車に乗り、JRの松山駅までやって来た。この裏手に新しい高架駅があって、写真の駅舎はすでに使用されていません。いずれ取り壊されるのでしょう。日本国中、あちこちの駅と周辺の風景が変わりつつあります。
 ここから岡山まで特急電車に乗り、この日の寝台特急サンライズに乗って帰ります。翌日の午後は仕事。いったい何しに来たんだという強行軍。電車に乗るのが目的なので、これでいいのです。

2025/09/02

残してほしい、富山地鉄(その1)

  富山地方鉄道(地鉄または富山地鉄と呼ばれる)が、大規模な路線の存廃問題で揺れているようだ。地元の事情も良く知らず、無責任なことは言えないので、ここでその是非について語ることはしない(というか、私の能力ではできません)。

 ただ、いち鉄道マニアとして言えば、魅力的な路線であり、どういう形であれ残してほしい。そんなわけで、今回はそんな気持ちも込めて、地鉄を訪れた際の写真を掲載します。


 2022年3月。西武鉄道10000系(ニューレッドアロー)を譲り受けた20020形電車に乗りに行って来ました。その後キャニオンエキスプレス」という愛称が付きましたが、この時はまだ付いていません。

 地鉄では、同じく西武から来た初代レッドアロー5000系(地鉄での形式は16010形)も現役です。(写真は2020年に撮影)


 20020形は、終点立山へ向けて発車。車窓には、春まだ遠しといった感じの立山連峰。

 立山に到着。アルペンルートの玄関口ということで、山小屋風の立派な駅舎です。そして、この立山までの区間が、今回の存廃問題で大きく取りざたされています。


 立山駅停車中の20020形。駅近くの踏切から撮影。この頃、左右を雪の壁に挟まれた電車がインスタ映えすると言って、この場所がちょっとだけ話題になっていた(私はインスタはやっていないが)。この時は雪が少なくて残念…いや、除雪作業の大変さを思えば、むしろ喜ばしいことかも知れない。


 アルペンルートが営業していない時期の立山駅は、広い構内が薄暗く閑散としていた。このオフシーズンの乗客の少なさを見ると、路線の維持は相当厳しいよなあ…と納得してしまう。

 切符売り場に掲げられた路線図。地方私鉄の雄と言われる富山地鉄、路線網は長大です。そしてそのことが、路線維持の難しさにつながっているのかも知れない。


 帰りは、同じく地鉄の不二越・上滝線に乗ろうと、途中の岩峅寺駅で下車。富山からここまでは路線を存続する方針のようです。







 岩峅寺駅、何というか時間が止まったようで渋すぎます。たくさん乗り降りした訳じゃないけれど、地鉄にはこういう駅が多いのです。



 この日は、高岡の大仏の近くにある宿に泊まりました(地鉄沿線じゃないんだけど)。藤子先生ゆかりの地、聖地巡礼(?)なのです。



 翌日、時間があったので富山の隣の稲荷町駅まで再び地鉄に乗り、車庫にとまる電車を見に来た。昨日乗った20200形はお休み中。隣には、もと京阪3000系の10030形電車。中間には2階建て車両が連結されています。

 ほんとに、車両面でもバラエティ豊かで飽きさせません。マニアの身勝手な願望と言われるだろうけど、どうにかして路線も車両も、今まで通り残ってほしいよなあ…。

 そんなわけで、今回はここまで。次回は宇奈月方面へ行った際の話などです。(まだやるの?)

2025/08/19

過去20年が消えました

  この記事の冒頭で述べた通り、過去に「ひまひま日記」というものを20年近くダラダラと書き続けていたのですが、今日、久しぶりに見てみたら…


2025年06月02日をもちましてFC2絵日記サービスの提供を終了いたしました。

  えええええ~(泣)。まあ、誰も使っている人見たことが無いし、いつ終了してもおかしくない状況だったけど、それでも残っているということは、逆にもはや放置状態でこのまま存続し続けるんじゃないか…などと思っていたが、甘かった。
 これで、20年間(2004~2023年)に書いた文章がすべて消えてしまった。保存してなかったのかよ!と言われるでしょうが、月に1~2回、鉄道ネタとテレビネタが約9割、実にどうでもいいことばかり思いつくままに書いていたので、積極的に保存する気にもならなかった(そんなものをネットに上げるな、という話ですが)。
 そんなどうでもいいものだったら無くなってもいいじゃん、と言われそうですが、いやしかし、いかにどうでもいい過去と言えど、20年を一気に失うのはやはりショックなのです。

 いや、これは、いつまでも過去を振り返らず、前を向き未来へ向かって歩きなさいという、神の思し召し…と言うか、FC2様からの有難い忠告なのかも知れない。そう思って、前を向いて歩いていきます。はああ…(泣)。

2025/08/04

群馬は今日も暑かった

 上野から特急に乗って、群馬へ行ってきました。草津方面へ向かう特急なのですが、自分が乗ったのは高崎まで。5両と短い編成ながら、車内にはだいぶ余裕がありました。

 前の席に座った女性2人組の外国人客、どうも特急券を買っていないらしく車掌さんが四苦八苦していた。最近の特急は多くが全車指定席ですが、インバウンド客が多い観光地向け特急は(踊り子号然り)、自由席があったほうがいいのではないか…と思ってしまう。


 高崎からは普通列車で水上まで。しかしはあーあついあつい。群馬の暑さを舐めてはいけない(…と思ったが、この日は神奈川県の海老名で38.9℃を観測、日本全国どこでも暑いのであった)。
 普通列車の車内は、大学生ぐらいの若者が多い。みんな荷物が少なくて軽装なので、高崎近辺の学生さんかな…と思ったけど、ほとんどが終点の水上まで乗っていた。どこに行くんだろう??


 水上には転車台があり、一帯が公園になっています。SLが高崎方面への折り返しを前に休憩中でした。


 水上から今夜の宿までは路線バス(1日3本!)で移動します。最終的に、乗客は自分一人になってしまった。
 チェックインまで時間があるので、宿の最寄りのバス停を通過して、ダムのふもとのバス停で下車。奈良俣ダムロックフィル式と言うそうだ。でかい! 付近の川では子どもたちの団体が水遊びしていて涼しそうだ。


 ダムを見上げていて思い出した。ここは昔、来たことがあるぞ(今さら)。
 近くにある、廃校になった小学校を使ったとかいう宿(うろ覚え)に泊まり、翌日、ダム周辺を散策したのです。しかし、とにかくダムがでかい。ダムに沿って作られた遊歩道(階段)を下っているうちに、帰りのバスが行ってしまった。
 次のバスまで2時間以上あるけど、付近に時間をつぶす場所も無い(ダムの上には休憩所があったけど、再度上り下りする気力も無い)。次のバスに追いつかれるまで、行ける所まで歩いて行ってみよう…としたのが間違いで、疲れてへろへろになって帰ってきた…そんなことを思い出した。



 終点から折り返してきたバスに再び乗り(今回は乗り遅れませんでした)、宿の最寄りのバス停で下車。山里といった感じの景色がいいです。


 泊まったのはこちら。一軒家で、民宿と言うよりペンションといった雰囲気です。宿泊客は自分一人だった模様。スキー場が近くにあるらしいので、夏場はオフシーズンなのかも知れない。
 温泉に自由に入れて、食事も美味しくて、部屋も清潔でとても良かった。ただ、とにかく暑かった。部屋にエアコンは付いておらず、窓を開けて寝ようとしたけど、羽アリみたいな虫がすき間からどんどん入ってきてしまう。仕方が無いので、窓を閉めて扇風機回しっぱなしにしてなんとか眠りについたのでした。
 たぶん、本来は夜になればエアコン無しでも涼しいのでしょう。しかし、北海道ですら暑いという近年の異常気象ではそれも望めない。日本全国から、避暑地なんてものは無くなってしまうのかも知れないな…。
 過ごしやすい季節に、また再訪したいです(スキーは滑れないのでパス)。


(おまけ)
 暑い暑いと文句ばかり書いてしまったので、気持ちを涼しくするために、6年前の8月に、同じく群馬のガラス工場に来た時の写真を載せます。涼やかなガラス玉。
 しかし、やっぱりこの日も暑かった。暑い中、炎を前にして作業するガラス職人さんたちの姿が印象に残っています。

2025/07/19

過去の鉄道旅を振り返る日記(四国観光列車編・その3)

・その1は こちら

・その2は こちら


 翌朝。ことでんの琴平駅から、琴平線に乗車します。やってきたのは馴染み深い、赤い電車に白い帯の車両。今日は幸先が良さそうです。

 座席の色は違うけど、車内の雰囲気は紛れもなく昔懐かしい京急です。


 瓦町で下車し、同じくことでんの志度線に乗り換えます。

 3両編成の最後尾車両は貸し切り状態。途中、短い区間ですが海が見え、水面の上を走るような開放的な車窓で気持ち良かった。



  終点の琴電志度駅に到着。すぐ近くにあるJRの志度駅まで歩いて、ここからJRで徳島へ向かいます。

 徳島駅に到着です。


 で、突如としてワープし、ここは山陽電車の舞子公園駅。徳島から高速バスで明石海峡大橋を渡ってやって来ました。徳島まで何しに行ったんだよ!という話ですが、では駅前でラーメン食べただけで、観光は無し。列車に乗るだけが目的なので、すみません。

 そして、阪神の直通特急に乗って、終点・大阪梅田に到着。巨大な阪急の梅田駅に比べると、こじんまりとした駅です。今日はこのまま、新大阪から新幹線で帰ります。

 引退しちゃうと思ってなかったから、適当に撮っただけのジェットカー。乗っておけば良かったなあ。

 そんなわけで、四国の旅はおしまい…と思いきや、2年後にまた行ってしまうのです(まだ続くのかよ)。